昭和51年04月23日 朝の御理解



 御理解 第21節
 「信心せよ。信心とは、わが心が神に向かうのを信心というのじゃ。神徳の中におっても、氏子に信なければおかげはなし。カンテラに油いっぱいあっても、芯がなければ火がともらず。火がともらねば夜は闇なり。信心なければ世界が闇なり。」

 昨日学院から帰って参りました人達から、期せずしてあの元学院の賄をしておられたと言う朝鮮の人です。まぁ日本名「太郎さん」と言う。まぁ私共昔からその方の話を聞いてはおりました。もう大変まぁ実意な人で、取り分け三代金光様から大変、それこそご寵愛を受けた方だそうです。もうみんなは皆んなというが殆どが、そのまぁ「たろさん、たろさん」と言った様な軽いそのまぁ言うならば、見られておられた方らしいですけれども。金光様はその太郎さんがお参りになると大変お喜びなったそうですね。
 もういつまでもいつまでもお話になるそうです。1時間半もあの引き止めてお話に成る様な事があったそうですね。そして姓も金光の姓をあの書き下げておられる。だから今「金光太郎」ち。手紙でもなんでもやっぱそう金光太郎で来るそうです。まぁ中々実意な方らしいですが、まぁそう言う金光様、三代金光様の御信用を篤く受けると言う事は、よっぽど心が神様の様な方だっただろうとこう思います。今年はそういう人の所に人が尋ねて人が助かるようになり、そういう何か金光日月、金光金光講社、金光校日月会。
 そこがあのご本部の金光様のご近所だそうです。それで大してあの広いお家じゃないですけれども、もう朝からずうっとお参りがあってですね、先日それが15周、そういう講社がでけて15年になると言うので、あのうご本部の元の古い、あのお広前をまあ貸し切られてね、貸り切られて記念祭があったそうです。1500名の信者が集まったそうです。勿論本部教庁としてはもう大反対だったらしいです、大体がもうそのうまぁ皮肉な人達のあれを借りますと、「金光町には、金光様が3人ござる。」
 勿論あのお広前金光様と、それからその太郎先生を「金光様金光様」と言う。それから須田先生が、あのう信者を連れてお参りをされるから、その3人をまぁ御本部の金光様と言うような、これはまぁ言う皮肉っての表現でしょうけれども、と言う程しに人がまぁ尋ねていくわけですね。そして人が助かるわけです。私その話をその学院から帰ってきた方達から、あの聞かせて頂いて、昨日の朝の御理解を思いました。ほんとに30年間もの間まかないをして、人からはまぁ朝鮮人というそのハンデもありまして。
 そのまぁ軽う見られながら、今そのいわゆる太郎先生です。その太郎先生が言われる事はね、「人を軽う見たらおかげになりませんと言う事。それから教祖様のこの教典をしっかり読む事。物を大切にする事。お先祖を大事にする事。」ともう他には言われないそうですその事ばっかり。自身が言うならば軽う見られた何十年間であり、今でも矢張りあのうまぁ「あんなのはもう、金光教じゃない」と言う様な風にして、もうそのえらい軽く、言わばあしらわれておられると言う様な状態。
 例えばそこで今度の記念祭15年の記念祭されると言うのは、本部教庁としては大の反対だったそうですけれども、金光様が三代様からあれ程ご信用を受けておった人の事だから、あの貸しても良いと金光様が仰ったそうです。ですから金光様のまぁ鶴の一声でそこをお借りになられて、そしてある先生が祭主でそのお祭りを仕えられて、まぁお説教にでも皮肉たっぷりな、お説教その教庁の方から江藤先生ですから、だったと言う事でございます。けれども事実人が助かっておるという事ですよ。
 例えどんなに無学であっても程度が低かってもです、その周囲に集まって来る人達は言うならば、立派な信者が沢山集まって来て、そういう大きな講社20の講社があるそうです。いわゆる20の出社があるそうです。そしてそういうならお祭りと言う時には、その1500名もの人が集まって、もっと実際は沢山おられるそうです。そして人が助かって助けてもろうたら、矢張り朝鮮の人であろうと賄い屋さんであったとかと言った様な事じゃなくて、もうそれこそ生神様の様にやっぱり、言わにゃおられない訳です。
 その30年間の間にはですそれこそ、昨日の御理解じゃないけれども、長い長い30年間と言う牛蒡の様な苦労があった事だろうと。自分で人を軽う見たらおかげになりませんと、まぁこれがまぁその言われるが、自分が何十年間なら今でも軽う見る人は軽う見て見られると言う事が、決して愉快な事ではありますまいけれどもね。毎日金光様の所にお届けに行かれて、金光様が特別の計らいをして下さるかのようにですね、太郎さんを捉まえては一生懸命そのまっ世間話やらお話になるそうです。
 もうこの太郎さんとお話になっておる時にはもうそれこそ、気色満面というですかね、もうニコニコと笑いながらそのお話になるそうです。その話は以前聞いておりましたけれども、昨日詳しくその学院生の方達から聞かせてもろうてです。矢張り神様の心に通うものを持っておられる。子供さんが10人おられるそうです。「私はこげんとかですばってか」ち言うてから話した事でしたけれども、その10人の子供さん達が、それぞれやっぱりお役に立っておられるそうです。
 その中の2人ぐらいは、あの学院に行って教師の資格を取っておられるでしょきっと。もうそれこそ小さいお家ですげなけれども、もうそれこそ御結界がだから御神前の真中にあるそうです。そしてもう洋服だけだそうです。もう何のてらいもない。ただ取次ぎ人が助かる事さえ出来れば、もうお供え物でもいわゆる埋まるぐらいであるといつも。そうでしょうね、何千人の信者がおるというのですから。で学院生たちが参りますと大変可愛がられるそうです。
 特に竹内君やら池田さん当りあちらに行って、あの金光様のお里なんかに連れて行ってもらって、普通では見る事も拝む事も出来ない様な、いろんなものを見せて貰ったり、拝まして頂いたと言う事でございます。それこそ言うならば長い長いそれこそ牛蒡の様な苦労をされて、実際なら今日ではですそのように沢山の人が助かると言う程しの、神様が一番お喜び下さる事の、お役に立っておられると言う事実なんです。と言うてなら一生懸命御祈念が掛っておられるとか。とてもいいお話があるとかと言う事じゃない。
 言われる事は「お先祖を大事にしなさいよ。人を軽う見たらいけませんよ。そして私が今こんなにおかげを頂いて、人が助かる様に成ったかは自分でも訳が分からん。」と言われるそうです。「まぁしいて言うなら、あたしが物を大変大切にしてきたからじゃろ」と言われる。是はあの賄をしておられる時でもやっぱ沢山の事ですから、いろいろ腐ったりするのがありますよね。
 そうすっとそれを少しばっかり食べといてから「ほんとに是を全部食べて貰いたかったかろうばってから」と言うてその食物にもの言われるそうです。繁男さんが畦道歩かれよるとね、その痒いとか痛いって言うと、野菜が呼びかけてくるのが分かるような感じで、野菜とものが言われるような、心の状態とよく似ておるねと言うて話した事でした。自分が作られたところの物がたくさん余る。粗末になる。いわゆる腐ってしまう、捨てなきゃならん時にです。
 一口食べてからほんにこれ全部、食物の心になっとられる訳です。皆んあ食べて人間に食べて貰いたかったろうけれども、残念な事に捨てなければならんと言うて、そのその食物といわゆるもの言いながらと言う程しに、物を大切にされる。「だからあたしがおかげを頂いておるのは、人でも助かるのはあたしが物を大切にしてきたからじゃろう」と。まあ色々と教えられるそういう事、形に現われてくる事もさる事ながらです、そういう事はけれども大した事はない。
 結局太郎先生の心の中にあるもの。いわゆる形の真似はでけても、心の真似が出来んからと教祖が仰る、人の真似の出来ん心を持っておられたからこそ、三代金光様が帰依をなさった。三代金光様のご寵愛を受けられて、言うならば金光の姓までも許された。まぁ表面だってのいろんな事は、矢張り金光姓をまぁ使っておられるそうですから、あの手紙でも何でも「金光太郎」で来るそうです。私ははその話を聞かせて頂きながら、繰り返し繰り返し申しました事でしたけれども。
 結局はなら分からないものは心の中の事であります。そこでねこれは金光教太郎先生だけの事じゃありませんよ、殆どの宗教が言いますよ。先祖を大事にしなさいよ。親を大事にしなさいよ。是は親を大事にするとか先祖を大切にするとかと言う事は、もう天地の心に叶うからですおかげ頂くんです。あの霊友会なんかの場合なんかはもうもうただ先祖の御霊様の事ばぁっかりしか言わん。
 しかも自分の先祖だけではない、あのもう荒廃したお墓なんか行って、お墓のなんか石碑に書いてある戒名なんかを写してきて。そして今日は何十人その御霊様を導いたと言った様な事で、もうとにかく助かってない御霊様を沢山集めてきて、その戒名を紙に書いてそれを、まっ御祈念をすると言った様な事をするそうです。自分の家の御霊様だけではない、よその御霊様達までも言うならば、言うなら信心の真を現す訳ですね。だからそうするからおかげになるのではなくてね。
 そうするせねばおられない、親を大事にしなければおられない、先祖を大事にしなければおられない。その心が神の機感に叶うのです。だからこれを言うてさえおれば間違いないとです。生長の家なんかでもそうですね。先祖を大事にしろ先祖を大事にしろとこう言うわけです。だからなら金光様とても同じ事。親先祖を大事にする同時に、その太郎さんが言われるように、「人を軽う見るな物を軽う見な。物をおし頂くような心の状態になれよ」と。自分自身が軽う見てこられた何十年間であったから。
 軽う見られて来た事に対して大変な、言うならば人を軽う見ると言う事は、こんなにも人の心を傷つけるものだと、思い続けて来られた事だろう。けれどもどんなに傷つけられても、どんなに不愉快な思いをしてもです、お広前に行って金光さまにお取次ぎを頂くと、金光様はにこにことして「太郎さん、太郎さん」と言われるから心の言うならば傷も、心の言うならば軽う見られる悲しさも、もう吹っ飛んでしまわれただろうと言うて私昨日話した事でした。私共でもやっぱそうです。
 私共でも矢張りその、それこそ昔のお父さんを知っておりますから、軽う見られる人達それはよく分かります。感じます。私を馬鹿にしておるなと思います。けれども私には神様がある。私と神様との交流。だからもうそう言う事は消えてなくなっていくのです。言わば太郎さんを「30年間も俺を馬鹿にして来たつから、今に見てとれ今に見てとれ、今に成功してから」と言った様な根性がひとっつもない。
 そういう心の中に心を汚されたり、傷つけられたりするような場合であっても、金光様にお目にかかると、金光様と相対してからお話が出来たりする事がもう、こよない喜びであったであろうと、私これは想像ですよ思うです。ですからもうなぁんにもない。それでも矢張り今、人を軽う見たらいけん。人を軽う見たらいけんと言う事が、まぁその人そこの、まっ教えのように言われるそうです。先祖さんを大事にしなさい。親を大事にしなさい、人を軽う見るなもうこれだけで、おかげ頂くです。
 ところがですなら助からなければならんために、親を大事にする言わば先祖様を大事にする、人を軽う見ないと言うような、例えば生き方と言うものは、それはそれでもおかげを頂くです。今まで人を軽う見ておった人が「はぁ自分がほんとに思い上がった考え方であった。これから人を丁重にしよう」と「物を、食べ物を特に大切にしよう」という改まり。又は改めて言うならば霊神様を綺麗にするとか、毎日お花をあげるとか、毎日お供え物をさして頂いて。
 毎日拝む事も言うなら、簡単に拝みよったのを真からお経でもあげたり、祖先賛詞をあげたりして拝まして貰う様になった。成程それだけでもおかげを頂くのです。けれども金光教の信心はねそれじゃないです。今日ここに21節にありますように「信心せよ。信心とはわが心が神に向こうのを信心」これがもう金光教の信心の看板なんです。これが芯です。わが心が神に向こうていくと言う事がお道の信心です。
 ですから昨日研修の後に、まその太郎先生の事を聞かしてもろうて、太郎先生の事を今も申しますように、形に現れておるものではない。太郎先生の言われる事されておる事じゃあない。その心の中に誰もが持たない素晴らしい言うならば、太郎さん自身とね、金光様とが言うならば、御大師様の言葉の中にありますように「空海の心の中に咲く花は弥陀よリ他に知るひともない」というほどしのもの。
 大坪総一郎の心の中に咲くもの。咲いておる心の状態と言うものは、もう神様だけがご承知の世界なのだから、人から軽く見られても、馬鹿にされても問題じゃない。私の心の中の喜びというものは誰も知らん、神様とあたしだけだと言うなものがある。太郎先生の場合もやっぱそうである。自分の心の中と金光様がもう見通し見抜きである。それで有り難いんだと言う、だからその心を見とらしてもらう、心を分からしてもらわなければいけないと言うわけであります。
 形の真似はね出来ても言うならば、いかに形を真似して親を大事にしたり、先祖を大事にしたり、人を軽う見ないと言う事をです、例え致しましてもそれは芯からのものではない。けれどもそういう心は天地の心に叶うからおかげを受けるのです。けれども金光様の御信心はどこまでもね、そう言う事ではなくて、自分の心が神に向かって進んでいく。言うならば和賀心を目指しての信心です。和らぎ喜ぶ心。そこで金光様の御信心は、親でもなからなければ先祖でもない、物を大切にすると言った様な事ではない。
 その根本になるものは、和賀心を目指す事なんだと。自分の心の中に和らぎ喜ぶ心をいよいよ育てて行く事なんです。自分の心が神様に向かって一歩一歩近づいて行くと言う精進以外にはないのだ。そこにです吾心が神に向かっていく時に、どう言う事になってくるかと言うと、「神徳の中におっても氏子に芯なければおかげはなし」と仰る。神徳の中にあると言う事がはっきり自分で感じられるようになる。自分の心がね神様の心に近づいて行きよるとです、神徳の中に生かされてあると言う事が分かるようになる。
 だから親も大事にしなければおられん、先祖も大事にしなければおられん、物も人も事柄も御の字を付けて押し頂く思いが生まれてくるんです。だから金光教の信心は何と言ってもだから私は心だと。もう金光教の信心はもう心一つだと言う事。天地書附にあるように。「生神金光大神天地金乃神一心に願え、おかげは和賀心にある」と仰る。おかげは親先祖を大事にするにあるとも仰らなければ、おかげは物を大切にする事にあるとは仰ってないでしょうが。おかげはもう結局和賀心にあるのです。
 そのわが心が求めていく和賀心を追求していくところに、わが心が神に向かっていく。神に向かって行くところからです、言うならばわが身は神徳の中に生かされてある事がはっきり分って来るんです。そして全ての事をです、大事にしなければおられない心の状態が開けてくるんです。親も大事にしなければおられない、先祖も大事にしなければおられない。だからそれはね、和賀心を求めて行く者に対するおまけのようなもんです。これはもう何宗何派でもです。宗教と言う特に言うなら。
 今の現生利益を追求する宗教なんかは特にそれを言います。親を大事にしなさい親孝行しなさい、先祖を大事にしなさい。そこで先祖を麗々しゅうお祭りし直して、言うならばご法事の様な事霊祭の様な事をするとです、確かにおかげ頂く事だけは間違いないです。だからそれではね、昨日また色々その事について頂いた事ですけども、その事ではあまりにもね信心の程度が低く過る。金光様が言われる所の和賀心。いわゆるおかげは和賀心にあるのだから、和らぎ喜ぶ心をいよいよ求めてその和らぎ喜ぶ心を創って行く。
 いよいよ豊かな美しい心を創って行くから、おかげが豊かに美しゅうなって来るのでありその和らぎ喜ぶ心に、いわゆるおかげは限りなく頂けれる事になるのです。同時に自分の心が和らぎ喜ぶ、信心の心が神様へ向かう時にです。それは親だけではない先祖だけではない一切のものをね。御恩恵としてそれを大切に尊ばなければおられない心が生まれてくる。金光教の信心はもうこれなんです。心です。だから心を大事にせずして、先祖を大事にするとか親を大事にするとかと。それでもおかげを頂くぐらいですから。
 心をそうしなければおられない心を頂いて、そうしたならばですいよいよお徳を受ける事は間違いないと言う感じがいたします。「信心せよ。信心とはわが心が神に向こうのを信心と言うのじゃ。」これがお道の信心の根本になるものです。それから先に言うならば、勿論そこには様々な手がかり、様々な手立てがあります。和賀心にならせて頂く事の為の精進があります、修行があります。と言っても良いくらいです。そこからね親を大事にしなければおられない内容の違った。
 大切に。先祖を大事にしなければ居られないものが生まれて来る。だから天地の機感に叶うからおかげも頂く、お徳も受けていくと言う事になります。金光様の御信心はもうだからもうギリギリね、どう言う事になるでしょう。親を大事にしなければいけませんよ、先祖を大事にしなければいけませんよ、物を食べ物を大事にしなければいけませんよと言う前に、金光様の御信心はいよいよ心を大事に大切に、しなければいけませんよと言う事になる訳ですね。
   どうぞ。